自分を振り返る瞬間 高校時代

 

筆者について

 筆者は1996年栃木県に生まれた。小山市という県南部に19歳まで暮らしていたが、19歳から現在に至るまでさいたま市に在住している。

慶通に進学したきっかけ

 一言でいえば3浪しても進学先がなかったということと学問を探求したかったことが慶通へ進学した理由だ。ちょっと純粋さの中に不純さが入り乱れる感じな理由である。
 勿論慶通は卒業が難しく、通学組と同じぐらい、いや通学組以上の努力がなければ卒業はできないことは既知の通りだ。
 
 きっかけについて何回のシリーズで紹介したい。
 

学問と書に憧れ、溺れていた高校時代

 筆者は栃木県立宇都宮高校(以下宇高 うたか)を卒業した。栃木県の人なら誰でもわかる、ナンバースクールの1つである。要するに進学校だ。埼玉でいえば県立浦和高校みたいなところ。男子校*1進学校だった。
 
 ナンバースクールなんだし、高尚な学問に触れてみたいなと思い進学した。ただ正直筆者ははき違えていた。高校はあくまでも勉強するとこであるということを。
 要するに勉強ができることは要領の良さで決まる。ただ筆者は要領が本当に悪かった。それもあって高校時代の成績は底辺を極めていた。
 
 余談ではあるが教員の中では「ブラックリスト」が出回っていたらしく、何度も自分の名前が出ていたらしい。笑
 
 成績が悪かった理由はもう1つあった。高校時代は部活をしていた。書道部であった。書道といえば貧弱なイメージを持つ方もいると思うが、宇高書道部は県内有数の書道の実力校でもあった。特に夏休みの頭には部展(瀧墨展)が開催することもあって、6月ごろから毎日終電までひたすら紙に向き合い、手足を真っ黒にしながら作品制作に向き合っていた。当然ながらこの時期は勉強をした記憶がない。
 部活を言い訳にするのはよくないが部活も理由の1つであったのは正直否めない。
 
 今でこそ東洋史の学習で書道で触れたものが生かされていることを考えると書道をやっていたことは決して無駄ではないといえるが。

落ちこぼれは腐っても落ちこぼれ

進学校で落ちこぼれなら頭はいいんでしょ?」と思われる方もいらっしゃると思われるが、現実は中堅レベルの高校でトップの成績を取られている学生の方が断然学力はよい。高校の進路先一覧を見てもらうと分かるが、進学校でもFラン大学に進学する人もいれば中堅校でも難関大学に進学する人もいる。それが現実なのだ。

 
 さて当時の筆者は京大を目指していた。成績は底辺のくせに。
 勉強はしたが、さすがに部活を引退してからの努力では限界があった。というよりも要領の悪さがさらに足掛けになった。
 さて何故京大に行きたかったのかと言えば、京大で学びたかったとか京都で暮らしたいとか色々な理由があったが、一方で逆転合格して周りを見返すという見栄のために勉強していた部分もあったと振り返る度にそのことを思う。
 まあ、勉強したかいもなく、無事1回目の浪人(高校4年生)を迎えた。

高校時代を振り返って

 こんな高校時代を送っていました。暗黒時代だと言われればそうだけど、書に打ちこむことができたこと、大切な友人と出会えたこと、恩師と呼ばれる先生に出会えたことなど様々なよかったことをあったことを思うと全然暗黒時代ではなく、むしろ素敵な青春時代ではなかったのではないだろうか。(かなりポジティブ 笑)

 

 どう向き合うかは人それぞれだったが、学問に向き合う姿勢を基礎付けたことが高校時代で最も得た大きなものであるといえるであろう。■

 
  

*1:公立で別学は絶滅危惧らしい。栃木のほか、埼玉、群馬に多く生息する。