通信

 こんにちは。僕は今、慶應義塾大学通信教育課程の文学部で学んでいます。2年目でちょうど折り返し地点に差し掛かったところです。このブログで通信制大学とはどんな場所かということについて紹介します。

通信教育は敷居が高い?

通信の大学に入って思ったこと

 通信の大学はよく「卒業が難しい」と言われる。でもそれは事実だと思う。表面的にはやはり難しいと思うが、あくまでも表面的にしか過ぎないと思う。

 何故難しいと言えば学習を維持することが難しいということに原因がある。やはり1人で学習を維持しなければならないということが大きな原因に挙げられる。通信は自学自習が肝になる。だから自学自習の習慣をつけないとなかなか厳しいと言えるであろう。

 

通信教育は以前よりも学びやすくなっている

 モチベーションの維持は難しいと書いたが、それは1人でやることに原因がある。今の時代TwitterをはじめSNSで交流ができる。つまりSNSを通して仲間を作ることができ、仲間と支えあうことでモチベーションを維持することができるということだ。 

 そして大学側も学生が学びやすいように工夫している。ネットによる講義やスクーリング、そしてレポート提出など以前よりも大きく発展している。つまり以前よりも通信教育への敷居が低くなっているということである。

 特にネットワークの発展がかなり大きいのではないだろう思う。今まででは本でしか情報を得られなかったが、ネットワークの発展によりインターネットによる文献探し、そしてネット講義の受講など可能になったことが数多くある。

 場所に関係なく、実際のキャンパスと同等に近い質で教育が受けられるようになっているという点で通信教育の敷居は低くなっている。

 

 

通信大学の選び方は自分の目的に合わせて

名前だけで絶対に選ばない

 通信制大学には選び方がある。それは自分のニーズに合わせることだ。簡単に言えば自分にはどんな学びがしたいかということだ。大学によってカラーが全然違う。アカデミックな内容を提供する大学もあれば、プラクティカルな内容を提供する大学もある。果たして自分はどんな内容を学びたいだろうか。これを考えたうえで大学を選ぶのが大切だと感じる。

慶應通信はアカデミックの最高峰

 慶應通信の卒業基準として、「通学生と同じ基準で卒業させる」というのがある。つまり、入試で合格した学生と同じ基準で卒業させるためになかなか卒業までにいくつもの壁が聳え立つのだ。

 特に慶應通信は卒論を必須とするために、卒業までに大量の文献に当たらなければならない。それを覚悟しなければならない。もちろん体力的な問題だけでなく、文献を見つけれるかという別の問題も生じる。特に地方や海外で学ぶ学生にとってはこれが1つの壁となることも多い。

通信教育はコスパがよい学びである

 最近、学費が非常に高騰している。きちんとした学びを行うにはある程度のお金は必要であるが、それでもやはり学ぶには非常に高いと感じる。その一方で通信教育は比較的安価で学べる。そして卒業したらきちんと学士をもらえる。

 学びは自分の人生を変え、社会を変える。そしてコミュニティとしても良質なものである。少しずつではあるが通信での教育が見直されつつあるのではないだろうか。🐓

テスト勉強

 おはようございます。バイトやら試験勉強やらで追われています。少し更新できない時があると思いますが、多めに見てもらえると助かります。

 

 昨日は本社のサービスセンターからの対応、沢山のお客さん、しまいの果てには駐車場で事故があって、警察の方まで来てたという大変な1日でした。さすがに疲れました。

 

 まあ、そんなに走り回って何になるんだって話だと思いますが。なんか無駄なことをしているなと思うと少し虚しさを感じるわけではないですが、それでも他のクルーの手助けとかお客さんの信頼関係が生まれるとかプラスになっていることもあるので、決して無駄ではないんだなと思ってやっています。

 

 

 それはさておき、試験勉強やっとかなきゃという切迫感があるので今日はこんな感じで失礼します。■

 

【慶應通信】【旅】旅×慶應通信

 旅をする中で通信生という職業はすごくフィットする。何故なら基本学校に行く必要がないので好きなペースで勉強を進める傍らで好きな時に旅ができるからだ。通学生の立場となるとなかなかいつでも行けるとはならないので、そういう点通信生の強みだと思う。
 
 そうはいっても試験前とかレポート締切とかの前にしか勉強してない。笑 でも旅をしていると考えることが多くて、勝手に哲学者になる。でも自分は確かに哲学専攻だけど、哲学に関する知識が足りていない。いや、思考の基盤ががまだ軟弱なために思考に対してどうしても甘くなってしまう。必死に考えたってまだまだ足りないし、思考が追い付かない。そもそも考えていること自体無駄なぐらい基礎が足りないのだと思いながら考えている。
 自転車こぐ時だって、バスとか電車とかで移動している時だって、正直考えるか景色を眺めるか以外やることがないのだ。一人旅ってそんなもん。とにかく感じたり、感じたことを昇華して抽象化していく作業をしたりしかやることがない。それが楽しいのかといわれれば難しいところだ。でも景色を楽しむのは好きだし、景色を見て感性を極めていく作業自体も消決して退屈なものだと感じない。そういうことが向いているのかどうかは知らないが、厭わない人である。
 慶應通信で専攻をどうするだとか、卒論をどんなテーマで書くだとかそんなことはまだ全然練っていない。早く固まればなと思いながらペダルを漕いでいた。レポートもしんどいし、自分自身にとって興味がないことをやることがこの世で一番しんどいなと思いながらレポートを書いたり試験対策をしたりする。そんなことがしんどいと思うなんて、まだまだ世の中を知らなすぎるなと思いながら本を読んだり、旅に出たりする。
  

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 「旅は哲学だよね。」
そんなことをあるホステルの方から言われた。確かにそうだと思う。旅をするのは哲学をしているものだと思うし、哲学をするのは旅をするものだと思う。
 
 そう思いながらペダルを漕いだり、バスに乗ったり、いろいろとしている。■