人のぬくもりとないものねだり

大阪のぬくもりf:id:imcompleteness0802:20190619103738j:image

人情の街、大阪

タイムスリップできる街、大阪

 大阪を観光するとタイムスリップした気分になる。何故なら昔ながらの懐かしいものがあったり、人がすごく人情深かったり、いろいろな意味で昔懐かしさを感じてしまうから。

 それは東京よりも大阪の方が発展が遅いと読み取れてしまうかもしれないが、僕はそういうことは一切言うつもりはない。むしろ大阪が東京と同じ形、つまりとにもかくにも古いものを一辺倒に新しいもので置き換えるような発展の仕方をするのではなく、大阪の持つ良さと新しいものが持つ良さとを調和した形で発展してほしいと思っている。


 人情の街、大阪
 東京とか関東にもそういうところはあるけれど、やはり関西には勝てないと思う。いやむしろ関東のサバサバしたところは僕にとってサバサバしている関東の気質は比較的住み心地がいい。余計なことを考えずに済むから。

 そうはいっても大阪の人の温かさ、人懐っこさは本当に元気をもらえる。商人の町だからいうのもあるけれど、「おおきに」の言葉1つでも感情が伝わってくるし、気遣いもそこまでするのかと驚くぐらい気にかけてくれるし、本当に元気をもらえる街なんだなって率直に思った。

ないものねだり

80年代、90年代のものが数多く残っている街


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 大阪には懐かしいものが結構残っている。地下鉄の案内板は90年代のままで残ってるし、京橋のミスドは改装されずに昔のまま残っていた。もう平成も終わっちゃったけど、まだ平成というか20世紀のままで残ってる。

 僕が幼いころにあったものを探すのが好きだ。「昔、こうなっていたんだな」とか「ここにはこれがあったんだな」とか勝手に推測してしまう。自分が生まれたころのもの、あるいは自分が生まれる前のものとか見つけたくなる。80年代、90年代はみんな元気だった時代。それが伝わってくるデザインやカラーリングに惹かれる。

冷たく感じるのは自分が一見さんだから

 この温かみのない冷たいゴシック体が令和の時代の地下鉄の駅で生き残っている。おそらく30年は人びとの案内を任されていたのだろう。少し薄暗い通路の中で人々の案内を任されてきたのだ。

 駅や路線のナンバリングが始まってからも取り換えられることなく使われている。あと何年かしたら新しいものと交換されるのだろうか。

 

 かつて営団地下鉄東京メトロに変わった時も順次表示板や駅の改装が行われいる。確かに新しいデザインはより人に調和したものになり、利便性や快適性は格段に良くなった。

 だけれどその一方でどこか寂しさも感じる。今までの無機質で冷たかったデザインは無機質ながらも東京の人々を見守ってきた。それは一言さんを冷たくあしらうような居酒屋のお母さんのような感じ。最初は冷たいけれど、通っていくうちに少しずつ心が打ち解けていく。


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京橋ミスドのデザインはバブリー

 長堀鶴見緑地線に乗ってて、たまたま京橋で降りたらミスドがあった。ただそのミスドのデザインが昔のまま残っていたところに惹かれそのままお店に入った。


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 確か660号店あたりだったかな。調べたら1990年前後にできたお店らしい。でもデザインがほとんど変わってないのかな、すごくバブルな感じ。お店の中も昔のままで凄く惹かれた。

 

 確かにこういうデザインのお店ってほとんど見なくなった。マックはおおよそ10年で改装される。時代ごとにお客のニーズに合わせて改装されるのだが、たまにこういうお店を見かけるとすごく入りたくなる。

小山駅東口のミスド

 そういえば小山に住んでたころ、東口のヨーカードーのそばにミスドがあった。そのお店も開店した90年代初頭から改装していない、ザ・バブルな感じのお店だった。外観は昔よくあった一般的なデザインだったのだが、木のテーブルとかお店の雰囲気とかがすごく気に入っていて、よく高校生のころは足を運んでいた。高3のころ閉店してしまったのだが、やはりああいうお店は絶滅危惧種だなと思って足を運んでしまう。

ないものねだり

    ないものねだり。懐かしい場所残して欲しいことだけど、自分も最新のものに依存してるからそんなことは言えない。だけど、新しいものがすべていいとは言わない。あったもののいいものまでを置き換えてしまうから。新しいものにはその良さを補填しているものが多くはない。新しいもので充満するとどうしてもそういう昔のものに惹かれてしまうのだ。昔懐かしいものに触れようとして無意識のうちに探してしまう。
 
 ないものねだり。■