ノートルダム大聖堂全焼とパリの人々の反応をみて感じたこと

 今朝起きてTwitterを見たら、「ノートルダム大聖堂が燃えている」というツイートを何人もの方がされていた。

 フランスには疎い筆者は見た瞬間は正直何も感じることができず、ただひたすらほかの人のツイートを見たり、燃えている動画やパリの人々が悲しむ様子を映した動画を見て、事の重大さを知った。

 例えれば自分の家が火事で燃えて呆然とする、いやそれとは比較にならないほどの衝撃であっただろう。大切な人を亡くしたぐらいのものであるとも言えるのかもしれない。

 正直なところパリの人の考え方などは全くと言っていいほど分からない筆者にとってあまり口にしない方がよいのだろうと思う。

 


悲嘆にくれるパリ市民 ノートルダム大聖堂が燃えた(19/04/16)

 

 ヨーロッパは災害が少ない地域であり、各都市には長い歴史をもつ建物が街並みを飾っている。その中でこれまで培ってきた伝統と新しいものとが融合しながら街や国が発展してきた。

 パリのシンボルであるノートルダム大聖堂が火災という形で焼失してしまったことに対して歴史のバトンを途絶えさせてしまったという想いがさらにパリの人々、いや世界中の人に衝撃が走ったのものではないかと思う。

 

 災害が多い日本では幾度となく災害でものが壊されてきた歴史を持つ。だがその中で人々は災害前の営みを取り戻そうと壊されたものを修復してきた。世界最古の木造建築である奈良法隆寺も現在に至るまで火災に見舞われた歴史を持つ。それ以外にも日本にある歴史的建造物は様々な災害を経験しつつも再建し後世に伝えている。

 先の震災では街ごと飲み込まれ跡形も無くなってしまい、人々は悲しみに暮れた。だけどそのような状況においては人々は立ち上がり街を復興するために歩みだしている。

 

 この度のパリの人々の反応を見たときに、震災の映像を見たときのパリの人々はおそらく悲しみ以上に絶望を感じたのかもしれない。筆者はノートルダム大聖堂の火災に対するパリの人々の反応をみてそう感じた。

 今回の事件は非常にショッキングなものである。だが、それでも全ての人々のために一刻も早い再建を願う。■